人に愛される建物づくりに参加したい。
設計図をつくり、工事監理をし、建物が完成します。そしてそこに様々な暮らしが生まれていきます。
このような一連の作業を何度か繰り返す中で、設計者のたいせつな役割は「思い」を伝播させていくことだと解するようになりました。
依頼主の願いと設計者の思いが重なり合って、プログラムとしての設計図ができあがります。
これを現実の建物にするために現場監督と職人たちの力が投入され、一人ひとりの技(わざ)が建物を形づくって行きます。
工事参加者に「思い」を伝えていくことで建物を良くしようという気持ちの輪が広がっていくように感じられます。
小さな思いが積み重なることでいい建物ができていくことを実感しています。
ところでいい建物とは何なのでしょうか?
一言でいえば誰かに愛される建物だと言えます。
いい建物は建物の大小でもなく、
工事金額の多寡でもなく、
奇抜さでもなく、
使う人や住む人たちに愛される建物だと思います。
我々はそういう建物作りを目指して行きます。
建物の設計は何のためにするのかを考えるときに必ず思い出す映画があります。設計をはじめて10年目のころに観たニューシネマパラダイスというイタリア映画です。
愛される建物とはこういうものなんだと感じいった記憶があります。
舞台はシチリアの古い町角に建つパラディソ(天国)座という小さな映画館です。村の中心に建つ小さな教会が週末に映画館になります。
映画が上映されると老若男女おおぜいの村人たちが集まり、画面を見つめては皆で泣き、笑いし、小さな教会は村人の感動があふれる濃密な空間になります。
みなに親しまれたこの映画館が不幸にも火事で全焼します。焼け焦げた石造の壁の前に涙にくれ絶望感を漂わせて、大勢の村人たちが集まって来ます。建物を物として愛したわけではありません。
そこでの体験が人々の人生と重なり、その喪失感がおおきな悲しみになるのだと思いました。
建物が愛されるということはその建物での営みと比例して生み出される感覚なのだと理解しました。